未来のテレビの標準形 ニコニコ動画の先

ニコニコ動画を見ながら、思った。
ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/
版権についていろいろ言われているけれど、こんな楽しい動画サイトは世界初ではないだろうか。
Youtubeなど動画サイトはどんどん出てきているけれども、単に配信だけ。
ニコニコ動画は、流れるようにコメント・感想がつけられる。
コメント内容は、意味のないコメントもあるけれど、共感できるコメントも多い。
動画とコメントを見ながら、笑って楽しんでいる自分がいる。
一緒に見ている時間を楽しめる。これがテレビの未来の形の標準形になるような気がする。
「時間の共有感」
Youtubeは、圧倒的な多数のコンテンツをそろえていているけれども、時間が短い。
Youtubeサイトのコメントの内容にもなんとなく共感が感じられない。
ブログに貼り付けられていて、「これ面白いよ」という風に紹介されているけれども、一緒に見ている感じがしない。
映画を見た後の感想をお互いに言っているような感じ。
ニコニコ動画は、映画を見ながら一緒に感想を話ししているような「時間の共有感」が感じられる。
 
おそらく、未来のテレビの形は、場所と時間を越えて、瞬間を共有できるようになるのではないだろうか。
言葉足らずなので、うまい表現が見つからないので説明しにくいけれど、
たとえば、
1.父親が30歳のときに見たテレビのコメントを(息子が10歳の場合)20年後、同じ30歳になった息子が見てコメントをつける。
「親父が30歳のときは、このシーンを見て、こんな感想を持ったんだなぁ」
2.30歳の自分と40歳になった自分が同じ番組を一緒に見る。
「10年前の俺はまだまだ未熟だったなぁ」
3.離れた仲間同士、番組を見逃した友達と一緒に見る。
生放送のサッカーの試合。
ゴールが決まると、画面いっぱいにコメントで「ゴーーーーーール〜」なんてのが埋まる。
離れた仲間が「今のコーナーキックがいいね」「角度がバッチリ」
時間が遅れて、番組を見逃した友達「キーパーのスキをついた」とコメント。
これが仲間内だけでもいいし、離れた家族同士一緒に見て、「時間の共有感」を味わえるようになるのでは。
 
これはテレビに限らず、あらゆるシーンでも同様だ。
例えば、結婚式や葬式に出席できなかった人も出席した人と同じような気持ちを時間を越えて共有できる。
あまりいい事例が思いつかないけれど、ダイアナ妃の葬式の番組がどこかにアップされていて、シーン毎にコメントが。そのコメントが全世界で共有できて、20年後の未来の子供たちもダイアナ妃の功績を教科書で学んでお悔やみすることが出来る。
コメントで埋め尽くされて画面が見えなくなってしまうかもしれないけれど。
その辺は時間や場所などでフィルタリングかな。
おそらく、未来のテレビの形は、単に電波で配信という形ではなく、そこに視聴者のコメントといった情報が付加されるのではないだろうか。
巨額の税金をつぎ込んだ2011年開始の地上波デジタル放送は、それが出来ない。
今のままのテレビの形では乗り遅れるのではないだろうか。
インターネットの配信で、同時に視聴者のコメントも付けられて配信。
時間と距離を越えて楽しめる番組がテレビの未来の形だと思う。
おそらく、既存のテレビ局を超えた新しいテレビ局がグーグルのように突然出現する。
googleYoutubeを買収したその先にあるのが、既存のテレビ局を破壊し、時と場所にとらわれない「時間の共有感」を提供する新しいテレビ局なのかもしれない。